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谷隆一の「僕だってこんな本を読んできたけど…」

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『ウェブ人間論』 梅田望夫・平野啓一郎  

2009/08/13

ネットは別世界?
コミュニティって何だろう

前の項で、「~ネット敗北宣言」を取り上げたので、もう少し希望を見いだそうと『ウェブ人間論』(新潮新書)を手にしました。
言わずと知れた『ウェブ進化論』の梅田望夫さんと、作家・平野啓一郎さんの対談を収録した本です。

スポーツや格闘技なんかで「かみ合う」という言葉をたまに聞きますが、この対談は、まさにそんな感じ。互いが互いのいい部分を引き出し合っているような感じで、がっぷり四つに組んだ、とても読み応えのある内容です。梅田さんがネットの良い部分、明るい部分を見つめているのに対し、平野さんは、どちらかというと負の部分、暗い部分にも関心を寄せています。印象としては、梅田さんは、すっとネットの世界に入れた人、平野さんは、その是非を問い続けている人、という感じを受けました。

で、そんな平野さんのスタンスが、この対談を深みのあるものにしているような気がします。例えば、「ネットで居場所が見つかる」と小見出しの付いた章で、梅田さんがこう語っています。

「これからどんどんネット空間、リアル空間がミックスした一つのものになれば時空を超えることができるから、リアルの重みが減ってくる。ネットという新しい道具を使って自分の居場所を探すんですよ。~中略~、ネット世界の存在を含めた新しい環境下では、平野さんが仰るところの、『リアルの現状を改善する方向へ努力しなさい』というテーゼより、『今の環境が悪いんだったら、他の合う環境を探して、そちらへ移れ』という方が時代に合った哲学のような気がしています」

これは明らかに、ネットを肯定的にとらえた方の発言です。で、それに対し、平野さんは、こう返します。

「(前略)一種の拘束、たとえば、家を買っちゃってもう引っ越せないとか、~中略~、もちろん環境を変えるってことには反対じゃないんですけど、例えば親子関係とかからは逃げられないでしょう?」

梅田さんは、付き合いたくない人とは付き合わないと決めていらっしゃるそうで、日本よりアメリカのほうが住み良いと、アメリカに暮らしてもいらっしゃる。生きるスタンスが、自由、というか、ご自分の意思をとても大事にしているわけです。
そういう方が、ネットの中の自由さに心酔していくのは理解できる気がします。しかし現実には、平野さんが指摘されるように、みんながみんな、自分のやりたいようには生きていけないわけです。

僕は地域紙作りをしているわけですが、そういう身からすると、梅田さんの生き方に憧れつつも、ではコミュニティとは何だろう、と考え込まざるを得なくなります。ここで私が想定するコミュニティは、特に「地域コミュニティ」です。要するに、隣三軒両隣的な、地域住民のつながりです。

人と人が接するとき、そこにはどうしたって価値観や立場の相違があります。気が合う場合もある半面、軋轢が生じることだってあるわけです。でも、そこで生きていかなければいけない。で、話し合ったり、あるいは飲食を共にしたり、行事をしたりして、互いの(心理的な)距離を埋めようとするわけです。

そこでたぶん、人は成長するんだと思います。と同時に、社会参加もしていくわけです。飛躍しているように思うかもしれませんが、僕はやっぱりそう思うんです。人と人が話し合い、何かを決めていくことは、それはどう見たって社会参加です。自治なんです。決めるものが、祭りで出す食べ物をカレーにするか焼きそばにするかというささいなことであったとしても、それはやはり前進で、自分たちの手で自分たちの町を作っていくことです。やりきったときには達成感もあるだろうし、結束力も強まっているはずです。では、ネットでは、そういう場面があるのでしょうか......?

僕にはわかりません。ただ、現実で居心地が悪いならネットがあるよ、という考え方には、ちょっと違和感を覚えました。もっとも、違和感を覚えつつ、それが必要とされているというのも、わからなくはないんですが。

何にしたって、いま僕たちは、先の読めない世の中を生きているのでしょう。だから面白いとも言えるし、だから生きづらいとも言える。この対談が刺激的なのも、確証のない現代・未来を、二人の知識人が必死に模索しているからなんでしょうね。

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